ぼやき漫才の創始者~都家文雄・都家静代
都家文雄・都家静代・荒川歌江
世相や生活を題材にしたぼやき漫才の創始者です。
ぼやき漫才の代名詞となった人生幸朗の師匠としても知られています。
落語家を目指していましたが、大正時代に上方落語の人気が聚落したことから、昭和元年(1926)より、妻の静代とコンビを組んでぼやきはじめます。
妻の静代の死後、荒川歌江とのコンビで1970年まで活動されています。
その社会的な毒舌は多くの支持を得ましたが、戦時中には当局に連行されることもしばしば。
ただ、警察にもファンはいたらしく「ぼやき漫才」でなく「社会教化漫才」とせよと助言を受けたこともあったという。
戦中に、戦時猛獣処分された動物園のチンパンジーの葬儀に市長が出席したのを「“英霊”よりサルのほうが大切なのか」とぼやき、アポロ11号の月面着陸の際には、「わたしらの子どもの頃は、”マンマンさん”と言って拝んでいたもんや。それがどないです。テレビで見てたらアメリカの旗が立って・・・アホらして拝めますか?」とぼやいています。
ぼやくだけぼやいたあと、
「皆様のご長命を衷心からお祈りいたしまして、私の社会講座を終了いたします」
と丁寧に締めくくる演出は、人生幸朗に受け継がれています。
データ
都家文雄(みやみや ふみお) 明治26年(1893)~昭和46年(1971) 享年78
都家静代(みやこや しずよ) 生年不詳~昭和31年(1956)