責任者出てこい!~人生幸朗・生恵幸子

人生幸朗・生恵幸子のぼやき漫才

「責任者出てこい!」で一世を風靡したぼやき漫才。

終戦後の1954年から1982年に幸朗が亡くなるまで活動していました。

「浜の真砂は尽きるとも、世にぼやきの種はつきまじ」
 「キザなこと言うな、このハナクソ!」
「わたしのこと、みなぼやきやぁ、ぼやきやぁ言うてねえ」
 「当たり前や。誰かて言わはるわ。ボケ!」
「しかし、みなさん、これは私がボヤくのやのうて、今の世の中が私をボヤかしまんねん」
まぁ皆さん、聞いてください

に始まり、
ぼやきが最高潮に達したところで、

 「アホ! いつまでぼやいてんねや、この泥亀!」

「かあちゃん堪忍! ごめんちゃい!」

「わがまま勝手なことばかり申し上げまして、こんなおもろない漫才聞きたないわい! というお叱りの言葉もなく、ご静聴賜りまして誠にありがとうございました」

データ

人生幸朗 1907年~1982年
生恵幸子 1923年~2007年

アリス・あのねのね・松山千春・沢田研二にぼやく

「時代の移り変わり、歌の流行のスタイルは郷土の民謡と演歌だけはいつまでも日本人の心の中に行き続けていくであろうと言われております。」

あの松山千春の「窓」ちゅう歌、この歌聞いたことおまっか?
“空の青さはわかるけど、空の広さはわからない”

「あたりまえじゃ! お前何考えてんねん、長生きせぇ!
 お前やろ、エスカレーターの階段の数数えて一日日ぃ送ってんの」

ピンクレディ、井上陽水にぼやく

若い女の子が短いスカートはいて恥ずかしないのか!?
私、思わずテレビの下覗いたがな。

天気予報、学校教育にぼやく。最後の漫才テープ(昭和56年4月頃)

米価に、災害に、加山雄三にぼやく 人生ぼやき読本4 昭和43年

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