MANZAIブーム

ザ・ドリフターズとコント55号の70年代が終わり、登場したのがお笑い番組『花王名人劇場』(1979-1990)や『THE MANZAI』(1980-1982)でした。

やすきよをリーダー格に、B&Bツービート紳助・竜介などなど、テレビで見ない日はないという時代でした。

MANZAIブームは1980年から82年までのたった2年間でしたが、従来のスーツにネクタイを捨てて、革ジャンにブーツ、Tシャツ、ツナギ、ボケが一方的にしゃべりまくりギャグを連発、
きらびやかなステージ、客席では”笑い屋のおばちゃん達”ではなく、若い女性を中心とした”観客”が、芸人が登場するとアイドル並みにキャーキャーと騒ぐなど、その後の漫才のスタイルやお笑い業界、世間にまで影響を及ぼしました。

今日は、そんな時代から王道2組とちょっとはずれた3組を紹介。

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MANZAIブームの芸人一覧はこちら

「じっくり落語聞きてぇや」とお思いのあなたは、
こちら”聴き比べ落語名作選“でたっぷりどうぞ。

怒るでしかし!~横山やすし・西川きよし

演芸ブームの立役者であり、漫才ブームのリーダーとなったやすきよ。
ボケ・ツッコミが瞬時に入れ替わる変幻自在な漫才も、やっさんの破天荒な私生活もおもしろかった。


もみじ饅頭!~B&B

漫才ブームの嚆矢となり、また、関西の芸人が続々と東京に進出するきっかけを作ったB&B。
洋七の超高速しゃべくりとギャグにうなづくだけの洋八の取り合わせは、この時代を象徴するスタイルでした。


大阪の舞台を支えた正統派漫才~オール阪神・巨人

「俺たちまで東京へ行ったら大阪の舞台は崩壊する」と大阪の舞台を守り続けた阪神巨人。
「せっかく見に来てくれたお客さんに、TVでやってるネタ見せられへん」と、ネタはTV用と舞台用を用意していると言う。


そんな奴おらへんやろう~大木こだま・ひびき

せわしない”MANZAI”がもてはやされた時代にあって、こういう正統派でゆったりとしたしゃべくり漫才は受け入れられませんでしたが、私は「そんな奴おらんやろ」が今も昔も大好きです。


タブー無視のショートコント~スネークマンショー

YMOとのコラボで一躍メジャーになったスネークマンショー。セックス・ドラッグ・犯罪なんでもありのサブカルチャーに大きなショックを受けました。
ポール・マッカートニーが大麻で捕まった時の取り調べを描いた「はい、菊池です」は永遠の名作です。