演芸ブームの立役者

1960年代から1970年頃にかけて、テレビの普及とともに広がった演芸ブーム。

東京オリンピック(1964)やいざなぎ景気(1965-70)の波に乗って、テレビの世帯普及率が90%を超え、「お笑いタッグマッチ」「笑点」などのお笑い・演芸番組が始まり、落語、漫才、音曲、舞台、コントなど、あらゆるジャンルのお笑いが気軽にテレビで見られるようになりました。

仕事はいくらでもあり、働けば働くほど儲かった時代。人々の「幸せの度合い」は現代よりも高かったのではないかと思います。

今回は「演芸ブーム」の立役者5組をご紹介。
まだまだ印象深い芸人さんたちがたくさんいますが、ジャンルを分けてまたの機会に。。

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では、ごゆっくりどうぞ。

「落語はないの?」とお嘆きのあなたは、
こちら”聴き比べ落語名作選“でたっぷりどうぞ。

気ぃ使いまっせぇ~平和ラッパ・日佐丸

「アホ」キャラは、賢くなければできない。
昨今、「ブサイク」はもてはやされているけど「アホ」はダメなんでしょうか。
天然のアホはただのアホ。「芸」としての「アホ」が見たい今日この頃です。


上方漫才の宝~夢路いとし・喜味こいし

声を聞くだけで誰だかわかってしまう大阪指定無形文化財「いとこい」。絶妙な「間」と「呼吸」は至芸。


爆笑王ダイラケ~中田ダイマル・ラケット

ダイラケの普段の会話のようなしゃべくり漫才も大好きでした。
「3秒に一回笑わせる」「ダイラケの出番では小屋が揺れた」などの逸話も残すレジェンド。


責任者出てこい!~人生幸朗・生恵幸子

こういうボヤキ漫才も出てこなくなりました。

「いつまでボヤいとんねん、このドロガメ!!」
「かぁちゃんかんにん・・なんちゃって!」


『芸』~藤山寛美(松竹新喜劇)

この人はまさしく「芸」そのものでした。
一挙手一投足が計算されつくしていた本物の役者。
仕事も遊びも借金も超一流。こんな喜劇役者はもう出てこないんだろうなぁ。


あたり前田のクラッカー~てなもんや三度笠

最高視聴率64.8%の化け物番組。
映像2つ目の「50年ぶりに演出家と出演者が語る驚きの舞台裏」に衝撃。
カメラは3台のみ、セットを実際に爆破して映像が揺れるなど臨場感がすごい。