もみじ饅頭!~B&B
B&B
島田洋之介・今喜多代門下で、洋七が2度相方を変えて東京進出し、漫才ブームの火付け役となりました。
第二期 昭和47年(1972)洋七・団順一
初舞台の観客は5人。はな寛太・いま寛大の漫才を見て自信を喪失して解散。
第二期 昭和48年(1973)洋七・上方よしお
バラエティ番組『オールスター90分』の司会を努めるなどで人気が出ましたが、東京進出をめぐってよしおと意見が合わず解散。
第三期 昭和51年(1976)洋七・洋八
上方お笑い大賞銀賞(1977)、上方漫才大賞奨励賞(1978)を受賞して実力が認められますが、当時は関西には仕事がなく、東京進出を決意します。
ゴールデンタイムの「花王名人劇場」「激突!漫才新幹線」に出演して注目を受けたことから、テレビ番組各社も新しい漫才の人気に反応して次々と漫才を中心とした番組を制作しはじめます。
「お笑いスター誕生!!」で10週勝ち抜きで初代グランプリを獲得してブレイク、漫才師としては初めて全国ネットの『笑ってる場合ですよ!』(1980)のMCを努め、『THE MANZAI』(1980-82)の放送が開始された後は、月に100本以上の殺人的なスケジュールでテレビでB&Bを見ない日はないというほどの人気となりました。
その過密なスケジュールで新たなネタを考える暇もなく、徐々に人気は低下し1983年に解散、個々での活動を行うようになります。
洋七は著書「佐賀のがばいばあちゃん」(1999刊)がベストセラーとなり、2002年から『M-1グランプリ』の審査員を務めます。
洋八は、「オレたちひょうきん族」(1981)でビートきよし(ツーヒート)、松本竜助(紳助・竜助)と目立たない相方同士の「うなずきトリオ」として人気となりました。その後、俳優としてドラマにも出演しましたが、現在は芸能活動を行っていません。
データ
島田洋七 昭和25年(1950)~
島田洋八 昭和25年(1950)~
“もみじ饅頭!~B&B” に対して1件のコメントがあります。