やすきよが最も恐れた漫才師~Wヤング
Wヤング(ダブルヤング)
昭和39年(1964)結成
「リズムデッサン」というトリオで活動していた平川と中田が初代の「Wヤング」を結成します。
当初は音曲漫才、後にしゃべくり漫才に転向し、駄洒落をふんだんに織り込んだ漫才は「やすしきよしが最も恐れた漫才師」と言われ、ビートたけしが「ツービートが何年やっても追い抜くどころか追いつく事さえできない」と著書に書いた実力でした。
人気絶頂で漫才ブームの到来を目前に控えた1979年10月25日、中田が野球賭博と事業の失敗で多額の借金を抱えたのを苦に熱海の海岸で飛び降り自殺します。
漫才ブームブームの火付け役となった『花王名人劇場』(1979年10月7日初回)の最初に出演者として予定されていましたが、急遽やすしきよしに変更、やすきよが漫才ブームを牽引するきっかけとなりました。
失意の平川はしばらく後にピン芸人として活動を再開、1984年に佐藤を誘って第2次Wヤングを結成します。
平川は「現役最高齢の吉本芸人」として長らく活動しますが、2019年初頭から入退院をくり返すようになり、解散発表を予定していた前日(2019年11月11日)に死去します。
佐藤は吉本新喜劇の座員として35年ぶりに復帰しています。
データ
【初代・第一期】
平川幸男 昭和16年(1941)~令和元年(2019)
中田治雄 昭和12年(1937)~昭和54年(1979)
【第二期】
平川幸男 昭和16年(1941)~令和元年(2019)
佐藤武志 昭和29年(1954)~
社内放送~Wヤング
俳優づくし~Wヤング
野菜づくし~Wヤング
除夜の鐘~Wヤング
Wヤング(第二期)
コンビニ騒動記~Wヤング
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Wヤングの漫才
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