『芸』~藤山寛美(松竹新喜劇)

藤山寛美

上方を代表する喜劇役者。

松竹新喜劇「桂春團治」(渋谷天外作・1951年)での酒屋の丁稚役が当たり、一躍人気者となります。

寛美の母(新町のお茶屋「中糸」の女将・稲垣キミ)の「遊ばん芸人は華が無うなる」との家訓を忠実に守り、「北の雄二かミナミのまこと、東西南北藤山寛美」(雄二、まことは南都雄二藤田まこと)と称され、1966年、当時の大卒初任給が2万円という時代に1億8千万円の負債を抱えて自己破産、松竹から事実上解雇を通告されます。

その後の松竹新喜劇が低迷したことから、松竹が借金を建て替えて呼び戻し、以降実質的な座長として絶大な人気を誇るようになります。

復帰後、20年間に渡って1日も休まず舞台に立ち続け、244カ月連続無休公演、公演数にして3万回以上という大記録を打ち立てました。(連続公演の記録としてはブロードウェイ「オペラ座の怪人」の249ヶ月・7486回がありますが、役者が何度も入れ替わっていることや公演数を考えると世界最多といってよいでしょう。)

昼夜で6本の芝居を行う「阿呆まつり」や観客からのリクエストを即座に受けてその日の演目を決める「リクエスト公演」なども話題を集めました。

データ

藤山寛美 昭和4年(1929年)~平成2年(1990)

平成元年(1989年) 紫綬褒章受賞。

藤山直美 :舞台の上では神が降りていた。
上岡龍太郎:大阪の文化が滅びる
立川談志 :通天閣が無くなったようだ
小林信彦 :おかしいということに関しては、この人に勝る喜劇俳優はいない
桂米朝 :一番残念なのは後継者を育てなかったこと
西川きよし:いろんな悩みを抱えたお客さんでも、松竹新喜劇の藤山寛美を見ると、今日一日、そのことを忘れさせてくれる。だから、遠くからもお客さんが来るんです。
月亭八方 :「僕は13億の借金があるから、この1千万はあってもなくても一緒やから、いるだけ持ってき」って・・
中村勘三郎(18代):寛美先生もウチの親父も死ぬとき志ん生師匠の落語を聞きながら死んでるんですよ。何か似てんだね。寂しがり屋なんだね。
松本人志 :この人は素で面白い人なのではなく、面白い人を演じることの天才なのだ。

下積みの石~松竹新喜劇


下積みの石

※動画サイト「VEOH」別タブで開きます。

ダムの修復工事に来ていた飯場仲間の万太郎(藤山寛美)と仙太郎(中川雅夫)。
ともに労務班長の東蔵(伴心兵)の娘、絹子(滝由女路)に想いを寄せていますが、絹子は風采の上がらない万吉には見向きもせず、仙太郎と良い仲になっていました。

ある日、ダム湖に身を投げて心中しようとするカップルを助け、万吉は爪に火を灯すようにして貯めたなけなしの金を二人に与えますが・・・。

アホ役としては、丁稚モノや「親バカ子バカ」が有名ですが、この「下積みの石」も最高傑作との呼び声高い伝説の舞台です。

藤山直美が寛美の役で再演して好評を得たほか、林家染丸(四代目)が落語として公演しています。

幸助餅~松竹新喜劇


幸助餅

※動画サイト「VEOH」別タブで開きます。

相撲好きが嵩じて、大阪一と言われた老舗餅米問屋大黒屋をつぶしてしまった大黒屋幸介。
妹が身売りをして手に入れた30両の金で再起をはかろうとしますが、そこへ二年半ぶりに江戸から戻った雷五郎吉(いかづちごろきち)が二人の弟子を従えてやってきて・・・。

アホ役でない藤山寛美としては、この作品が一番だと思っています。
何度見ても泣き笑いで顔がくしゃくしゃになります。

富くじ~松竹新喜劇

愚兄愚弟~松竹新喜劇

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