しゃべくり漫才の元祖~エンタツ・アチャコ
横山エンタツと花菱アチャコ
エンタツ・アチャコは、「しゃべくり漫才」の元祖として、当時の流行りであった太夫と才蔵の「萬歳」から、現在の漫才の基礎を作り、上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献しました。
1930年(昭和5年)のコンビ結成以来、『早慶戦』や『僕の家庭』などのヒット作を連発し「漫才は落語と並ぶ地位を得た」と言わしめるようになります。
横山エンタツ 1896年(明治29年)- 1971年(昭和46年)
花菱アチャコ 1897年(明治30年)- 1974年(昭和49年)
早慶戦~横山エンタツ・花菱アチャコ
僕の家庭~横山エンタツ・花菱アチャコ
黒眼鏡にちょび髭のエンタツが、2本の指で髭を押さえて「はっは~、照れくさ~」と言うのが定番のギャグでした。
アチャコとのコンビは、4年で解消し、単独でラジオやドラマに長期出演。
また、「爆笑エンタツ劇団」を結成して全国を巡業します。
エンタツの系列など
エンタツの息子は、間寛平、レッツゴーじゅんなどの師匠にあたる吉本新喜劇の巨星 花紀京。
直弟子に、横山ノック、青芝フック
孫弟子に、横山やすし、横山プリン
曾孫弟子に横山たかし・ひろし
など、横山を名乗る芸人はほぼ横山エツタツの系列と言ってよい。
NHKドラマ『心はいつもラムネ色』(1984年)では岸部一徳がエンタツを演じました。
同じくNHKドラマ『わろてんか』(2017年)では大野拓朗が「舶来亭キース」の名でエンタツを演じています。
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