たたかれて鼓とともに70年~砂川捨丸・中村春代
砂川捨丸・中村春代
張り扇相手に漫才一筋。
明治・大正・昭和の上方漫才史を生きた「漫才の骨董品」。
捨丸は、兄が江州音頭の音頭とりをしていたため、10歳の頃から舞台に上がっていました。
それまでコンビを組んでいた高橋笑子(その風貌から”ライオン”と言われた)が、滞在中のホテルでヤクザに射殺され、大正12年、失意の捨丸が神戸に乗り込んだ時に相方となったのが、初代ミス神戸に選ばれた美人で女性漫才師の中村種春に師事していた春代でした。
太夫・才蔵の門付け萬歳を踏襲して、鼓を持って紋付きを着た捨丸と、ハリセンを持った春代の着物姿が定着しました。
「おにぎやかに数え唄でもまいりましょうか」と始まる舞台は、昭和46年に捨丸が急死する前日まで50年に渡って続きました。
データ
砂川捨丸(スナガワ ステマル)明治23年(1890)~昭和46年(1971)享年81
中村春代(ナカムラ ハルヨ)明治30年(1897)~昭和50年(1975)享年78
漫画「じゃりン子チエ」の竹本テツの少年院時代の所長「捨丸」のモデル。
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